Match 2 - Group A
Uruguay 0-0 France
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腐ってもフランス――。
先発に名を連ねた11名のフランス代表のネームバリューは決して低いものではなかった。アネルカ、リベリー、グルキュフ、エブラ…。しかし、試合が始まってみると、パスワークにはオートマティズムがなく、選手同士の連携にアンサンブルは見受けられない。殊に本職が左サイドバックのアビダルとベテランのギャラスのセンターバックコンビは不安定であり、最後までウルグアイの点取り屋であるフォルランにかき回された。

一方のウルグアイは、プレーオフにもつれ込む厳しい予選を勝ち抜いた守備力を存分に発揮。特にフランス左サイドのリベリー、エブエを重点的にケアし、90分間烈しいプレスで、フランスに好機を作らせなかった。
ボールを奪うと、すかさず前線のフォルランとスアレスという強力ツートップが良好な関係でボールを引き出し、幾度もフランスの守護神・ロリスを慌てさせた。
最大のチャンスは後半28分。スアレスの触ったボールがゴール正面に走りこむフォルランの前にこぼれたが、シュートはゴール左に外れた。

フランスは後半27分以降、アンリ、マルダ、ジニャクと攻撃的な選手を投入する。ウルグアイは後半36分にニコラス・ロデイロが2枚目の警告により退場し、フランスにとっては相手が10人となった最後の10分が攻めどころだったが、得点することが出来なかった。

グループAは4カ国すべてが勝ち点1を分け合う展開。
ウルグアイはキャプテンのルガノを中心とした守備は強固だった。2トップのフォルラン、スアレスは得点の期待が持てるが、如何にチームとして2人をサポート出来るかが今後の課題ではないか。

フランスはアネルカが孤立することが多く、セントラルハーフのディアビとグルキュフが如何にサポート出来るか、そしてリベリ、ゴブを中心としたサイド突破に、厚みを持ってペナルティエリアに侵入できるかを修正すべきだろう。ベンチに座るアンリ、マルダ、ジニャクという攻撃陣を初戦で出場させたことは良かった。今後の起用方法が問われるだろう。
“ジダン以後”といわれるフランス代表。リベリー、アンリ、グルキュフ。ヒーローの出現が待たれる。
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# by marc_keio | 2010-06-12 14:48 | football
Match 1 - Group A
South Africa 1-1 Mexico
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耳をつんざくゼゼブラの音が、一瞬、悲鳴に変わったようだった。
メキシコのセンターバック、ラファエル・マルケスが落ち着いてゴールネットを揺らし、メキシコが同点に追いついたのは後半34分。開催国である南アフリカの開幕戦勝利は叶わなかった。ショートコーナーで変化をつけてきたメキシコに対し、南アフリカのラインコントロールのミスによる失点だった。

8万人を超える大観衆とゼゼブラの大合唱の中、ウズベキスタン人のイルマトフ主審によってオープニング・マッチのホイッスルが吹かれる。
前半からメキシコが試合を支配した。ゆったりとしたボール回しから、3ラインの隙間、合間に鋭いパスを入れ、ドス・サントス、ベラ、フランコという前線のタレントがダイレクトプレーで攻撃を加速する。さらに右サイドバックのアギラルがオーバーラップを繰り返し、南アフリカの左サイドを蝕みながら、メキシコの得点チャンスが再三生まれる。前半2分、19分とドス・サントスが南アフリカゴールを脅かし、前半32分にはベラがふわりと浮かしたスルーパスにフランコが反応、胸でトラップしてゴールを狙うが、南アフリカのGK・クネの好守に阻まれる。
地元の大歓声に後押しされた“バファナ・バファナ”(南アフリカ代表の愛称。「少年たち」の意)は、立ち上がりこそ固さが見られたものの、身体を張ったプレーでメキシコに得点を許さなかった。エバートンでプレーするピーナールが起点になるべく動き回り、特に右サイドバックのガクサのオーバーラップが効果的だった。

監督としてワールドカップ6度の最多出場を誇る南アフリカの指揮官・パレイラがハーフタイムに動く。前半、再三破られた左サイドバックにマシレラを投入。メキシコの右サイドからの攻撃を封じるだけでなく、チームとして改めて堅守速攻を徹底する共通認識を植え付けた。
前半、好機を逃し続けたメキシコは、後半もゆったりとボールを回し始めるが、NHKの実況が「なにか雰囲気が違います」と図らずも口にしたように、落ち着いてブロックを築く“バファナ・バファナ”と、徐々にヒートアップする8万人のアウェイの大観衆を前に、ボールを回させられているようだ。

そして、後半10分だった。アフリカ初のワールドカップのファーストゴールが生まれる。前半終盤から高い身体能力を活かしてイーブンなルーズボールをマイボールにしてきた南アフリカが、センターサークル付近でボールを奪うと、わずか数本のパスでカウンターを仕掛け、チャバララが快足を飛ばし、ゴール右隅に大会初ゴールを突き刺した。アフリカの大地を疾走する風を思わせるような一瞬の出来事だった。

メキシコは肝を冷やしたことだろう。「決定力に欠けていたのが響いた。負けてもおかしくない試合でもあった」とメキシコのアギーレ監督が振り返る。メキシコの選手たちは、一時は8万人が吹き鳴らすブブゼラの音の坩堝に引きずり込まれる錯覚と恐怖を感じたはずだ。しかし、南アフリカのラインコントロールのミスにより、なんとかドローに持ち込むことが出来た。

南アフリカは後半こそ堅守速攻が嵌り好機を作りだしたが、勝利のチャンスを逃したのは大きい。圧倒的なホームの後押しは心強いが、前半から幾度となくメキシコ攻撃陣に崩された守備の整備を急がなければ、ワールドカップ史上初めて開催国が予選敗退することも十分に考えられる。

一方のメキシコは決定機を逃し続けたツケが回ってしまった。しかし、後半投入されて流れを変えたベテランのブランコはさすが。来季マンチェスター・ユナイテッドへの加入が内定しているルーキーのエルナンデスも可能性を感じさせた。多彩な前線のタレントが覚醒すれば、面白い存在になるだろう。
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# by marc_keio | 2010-06-12 03:11 | football
c0119546_11542412.jpgNumberで連載されている「Osim Lesson」の筆者でもある田村修一氏が纏めた、300ページを超えるオシムの言葉。

先日、スイスのSaas Feeで行われた岡田ジャパンのワールドカップ直前合宿を訪れたオシムは、不調に苦しむ中村俊輔に言ったという。「お前は40度を超えるベトナムでも、あんなに走ったのに死ななかったじゃないか」。この言葉が中村俊輔の心にどれほど勇気を与えたことか。俊輔は「あんまり後のことを考えずに、つぶれるまで走る。サイドハーフがつぶれないと勝てない。途中で足が止まったら交代でいい」と前を向くことができた。

サッカーだけにとどまらず、人生においても百戦錬磨の名将を失ったことは、日本のサッカー界にとって大きな損失だった。
オシムは、世界基準を知り、日本が世界で勝つための、「世界を驚かす」具体的な方途を、具体的な言葉でチームに浸透させることが出来たはずだからだ。その明確な道筋をメディアを通して我々に伝え(時には欧州の成熟したジャーナリズムから見れば未熟な日本のメディアをも育成し)、南アフリカでの成功、あるいはそこへ向かう途上で、我々に勇気と希望を抱かせ、結果に係わらず、南アフリカでの挑戦を通し、サッカーを文化として日本に根付かせる事が出来たはずだからだ。

何かを成し遂げれば、人は幸福になれる。日本が何かをすれば、日本人は幸福になれる。世界チャンピオンになれば、それは日本人全員が世界チャンピオンになったことを意味する。すべての監督、すべてのクラブ、すべての選手、メディアやサポーターも含めた、すべての日本人だ。
(『オシム 勝つ日本』)

「日本代表の日本化」を掲げて代表監督に就任したオシムが、もし病に倒れなかったら、どんなチームを率いて南アフリカに向かっていたのか。

死んだ子の、歳を数える。(中略)
もし病に倒れることなく、あのままオシムの日本代表が続いていたら・・・。

(『オシム 勝つ日本』 プロローグより)

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岡田武史が南アフリカ大会で「ベスト4」を目標として掲げ、オシムの後任を引き継いで以来、日本人は日本代表の「未来」に希望を見出しにくくなっていることは事実だ。「世界を驚かせる。」という標語に駆り立てられるものを抱きながらも、そこに至る道標は(メディアを通して一般人に伝えられる上では)具体性を欠き、曖昧模糊としている。得点力不足は解消されず、内容も結果も表れず、現に「完成度が求められる」とオシムが語るワールドカップの準備段階において、4連敗を喫している。

本大会まであと数カ月しかないが、日本の準備はノーマルに進んでいるのだろうか。つまり論理的なステップを踏んで、しっかりとしたプレーのできるチームを作りあげているのだろうか。選手がお互い同士をよく知り、連帯感を抱きながらともに戦っていけるチームだ。準備の段階から、完成度は求められる。
(『オシム 勝つ日本』)

しかし、オシムは倒れた。ワールドカップは今日、開幕する。「中途半端に勝つくらいなら、もう日本人を辞めたくなるくらいの惨敗を喫すべきだ」と書くサッカーライターの心情も理解できる。
でも、やはり心の底では日本人のだれもが、日本の勝利を願っている。
ジェフ時代、「野心を抱け。」、そう言われてオシムに鍛えられた阿部勇樹が、ここのところ中盤で先発していることも、何かの因果かもしれない。
結果がどうであれ、終戦のとき、オシムは「これが人生だ」と不敵に笑うであろう。勝っても負けても、人生はつづく、と。

すべてが哲学だ。他人から常に学び、ひとりになってじっくりと落ち着いて考え、個人主義者であり続ける。他人とつながりを持ち、自分や人にとっていいことを学び、いいこととよくないことを判断して選ぶ。そういう取捨選択をしていくべきだ。

人は誰もが矛盾やコンプレックス、葛藤を心に抱きながら生きている。そうした弱さに蓋をするのではなく、冷静に、客観的に自分の弱さと向き合う。客観視できれば克服もできる。それが真剣に生きることだ。

(『オシム 勝つ日本』)
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# by marc_keio | 2010-06-11 18:03 | book
c0119546_20473236.jpg司馬遼太郎賞を受賞した宮本輝の『骸骨ビルの庭(上・下)』を読了した。素晴らしかった。本物の日本語で書かれた本物の小説であると思う。このような小説の滋味をしっかりと受け止め、味わい尽くせる心を持った大人になりたい。

「上質な小説」の定義は幾つかあると思うが、「上質な日本語」で書かれたものであることがそのひとつであると思う。上質な日本語というのは、誰にでも分かり易い簡単な言葉で書いてあることである。「雨が降ったら、『雨が降った』とお書きなさい」という言葉があるが、なかなか人はそのように生きれない。

あの日、淀川の堤に立ち、間近の国鉄の鉄橋を貨物列車が渡っていく轟音を聞きながら、ぼくは自分の初めての烈しい恋の相手の幸福以外何ひとつ念頭になかったことを思いだしていた。
二十歳そこそこの若者の一方的な片思いによる突飛な行動でさえも、苦は楽に変じたのだ。そこには、自分のことを考えての何等かの取引きなど皆無だったのだ。自分のことを考えての苦労やから、苦労と感じるんやないのか、という泰造の言葉は、身を切るほど冷たい川風よりも厳しくぼくを打ちつづけた。

(『骸骨ビルの庭』)

「胸に千巻の書あれば、語を下す自ずから来歴あり」という言葉がある。今まで多くの本を読んできた人が文章を書けば、自然とその人が今まで読んできた本が書く文章に滲み出たり、言葉に表れてくるといった意味だろう。「千巻の書」とは「経験」とも置き換えられる。その人が経てきた幾多の経験は、言葉遣いや生き方に自然と表れて、滲み出てくる。
人間として、本物に触れ続ける、上質な文化や芸術に魂が触れつづけることが大切だ。優れた本物は、本気で人間のことを考えている。この贋(にせ)モノだらけの現代だからこそ。

それまでも幾度か、決意を不動にしたかに思える瞬間はあった。それらはそのたびごとに嘘ではなかった。だが、人間は変われない生き物なのだ。自分の人生を決める覚悟は、一度や二度の決意では定まり切れるものではない。何度も何度も、これでもかこれでもかと教えられ、叱咤され、励まされ、荒々しい力で原点にひきずり戻され、そのたびに決意を新たにしつづけて、やっと人間は自分の根底を変えていくことができるのだと思う。
(『骸骨ビルの庭』)
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# by marc_keio | 2010-06-10 00:07 | book
c0119546_17482260.jpg「油蝉の声が絶えたと思う間に時雨がやってきて暑気をころあいに鎮め、かわりに蜩(ひぐらし)の鳴き始めた晩夏のたそがれどきであったと思う。いや、地球温暖化とやらで蝉も時雨も出番にとまどっている昨今のことであるから、もしかしたら九月も半ばを過ぎていたかもしれない。」
(『ハッピー・リタイアメント』冒頭)

大学時代の友人、麗しの愛ちゃんから頂戴した、地位も名誉も金もない定年眼前の慎ちゃんとベンさんが狙う、人生の逆転満塁サヨナラホームランを描いた傑作。
浅田次郎の小面憎いほどに豊かな語り口と多彩な手法。まさに手を変え品を変え、八面六臂(ろっぴ)の表現で、ストーリーテラーとしての才覚をいかんなく発揮している。
原稿用紙のインクの痕が乾ききらぬかのような麗しい一文の後に、現代っ子が片手で打った携帯小説の一節のような乾ききった軽薄なリアルを横たえてみたり。ひねくれた漫才師のチクリと痛い風刺とボケが同居する笑いを爆発させたかと思えば、真骨頂ともいえる江戸っ子の胸をもホロリとさせる人情を忍ばせてみたり。この小説家、天才なのか努力の人なのか、コミックのようで芸術のようだ。

「この小説は一種の幸福論。人間の幸福はお金や地位だと思っている人は、結果的には不幸になる。彼らはヘンな人生をたどった人たちと出会うことで、そのことをだんだん学んでいくわけだよ」(浅田次郎)

ハッピーとは何ぞや。たしかに考えさせられた。幸福を。人生を。
ある歌手は歌った。僕らは予定通りのコースを走ってきた、少なくとも今日まで。
ある会社の先輩は言った。就職活動のとき、予測の出来ない自分へと成長させてくれる会社だと予測できたんだ。
人生の幸福とは。それを考えさせられる小説は、本当の小説だ。

定年を四年後に控えた、しがない財務官僚・樋口慎太郎と愚直だけが取り柄の自衛官・大友勉。二人が突如再就職先として斡旋されたJAMS(全国中小企業振興会)は、元財務官僚の理事・矢島が牛耳る業務実体のない天下り組織。その体質に今イチ馴染めない樋口と大友は、教育係となった秘書兼庶務係の立花葵から、ある日、秘密のミッションを言い渡される…。
(Amazon「内容」より)

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雑誌「GOETHE」に連載されていたこともあり、Web Siteでも本書の特集が組まれている。
WEB GOETHE「ハッピー・リタイアメントとは如何なるものか」
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# by marc_keio | 2010-06-03 18:38 | book