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c0119546_1211478.jpgフース・ヒディングが再びマジックを起こそうとしている。
「バークレイズ・イングリッシュ・プレミアリーグ第24週」(この言い回し、マジ好きなので、もう一回・・)、昨晩行われた、Barclays English Premier League Week24で、3位アストンビラと4位チェルシーが激突し、チェルシーがニコラ・アネルカのゴールで1-0と快勝。この結果、チェルシーがビラを抜いて3位に浮上した。

ルイス・フェリペ・スコラーリが解任され、後任には現ロシア代表監督のフース・ヒディングが就任。「富豪アブラモビッチのポケットマネーか」とか「盟友の危機を救うために」などと報道される中、昨晩行われた初采配となるプレミアデビュー戦で見事結果をだした。浮上したのは順位だけではなく、3日後に行われるチャンピオンズリーグ対ユベントス戦に向けて、ブルーズが復調の兆しをつかんだといえる。

前任者スコラーリは、チェルシーに新たな風を吹き込んだ。
ドログバに象徴される、高い身体能力と技術を高次元で兼ね備えた選手たちの個人技と“キック・アンド・ラッシュ”に依存していたチームに、デコとボシングワという2人のポルトガル人に象徴される、華麗なテクニックと“パス・アンド・ムーブ”で相手を翻弄するポルトガルの風を吹き込んだのである。開幕当初、スカパーの解説者(主に原さん)は、この新生“スコラーリ・チェルシー”の可能性を盛んに面白がっていたが、その真骨頂はサッカーの質だけでなく、「マン・マネージメントの手腕」にもあるとされていた。

しかし、「こんなに早くフィットするとは思えなかった」と称賛されたデコもベンチに座る機会が多くなり、“スコラーリ・チェルシー”は破綻していった。結果的にスコラーリ最後の試合となった前節の対ハル・シティ戦の内容は、「マン・マネージメント」の能力が正常に発揮されているチームとは到底思えなかった。

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「I’m stiil hungry!」
’02年W杯、対イタリア代表戦前日の記者会見で、「目標は達成した。しかし、私はまだまだ腹が減っている」と言い放ち、見事韓国代表をベスト4にまで押しあげたヒディングは、その後も’06年W杯でオーストラリアをベスト16に、’08年ユーロでロシア代表をベスト4に導いた名将である。
「チェルシーへの協力は今季限り」と表明しているヒディングが、優勝争いの後塵を拝すチームに、ここから2冠をもたらすしたら、もし「ヒディング・マジック」が再び起こるとしたら、注目せずにはいられない。

最近、勉強も兼ねてプレミアリーグを英語音声で楽しんでいる。実況も解説も、何を言ってるのかさっぱりわからない。
だが、メリットが3つある。1つは、選手の名前がネイティブな発音で耳に心地よいこと。2つ目は、何を言っているかわからないので(笑)、無駄な情報のインプットがなく、逆にサッカーの本質に迫れる点だ。そして3つ目が、本場イギリスの実況のEnglishは、聞き取れさえすれば(笑)、熱い、のである。
まぁ、英語のリスニングに集中しようとすると疲れるし、最近では、単語を拾いながらサッカーを現地放送の“雰囲気”で堪能している感じだ。

前半19分、フランク・ランパードが一瞬の判断とテクニックでディフェンス2人を置き去りにすると、ラストパス。抜け出したニコラ・アネルカが、柔らかいチップキックでそのボールをゴールに流し込む。トップスコアラーの今季21得点目のゴールが、新生“ヒディング・チェルシー”の初陣と、敵地ビラ・パークでの10年ぶりの勝利の決勝点となった。

実況が叫ぶ。
その熱い言葉が、日本人の私の鼓膜にも突き刺さる。さすがにリスニングに誤りはないだろう。その言葉は、鼓膜を震わせ、確かな説得力と静かな予感をともなって、響いたのだ。



This is Hiddink’s REVOLUTION!!!



決戦は3日後である。
UEFAチャンピオンズリーグ決勝ラウンド1回戦1st leg対ユベントス戦は、日本時間2009年2月26日4時半キックオフ。
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by marc_keio | 2009-02-22 23:30 | football
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トールマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーの名刺には、

「トラヴェリング<旅行中>」

という文字が刷り込まれていることになっている。



パディントン駅からタクシーで、パークレインへ。
なんとか行先を告げ、機嫌の悪い運転手に気を使いながらタクシーに揺られる。それが、運ちゃんの機嫌のバロメーターなのか、このタクシー、揺れに揺れる。以前、オダギリジョーの『ゆれる』という映画を見たが、あれはよかった。なんて思ってる矢先、スーツケースが車内で転がって転倒。というのも、パディントンで客待ちをしているタクシーはどれも後部座席が広く、荷物と一緒に乗り込むのだが、その後部座席のスペースをスーツケースやら弟の松葉杖やらが移動するほど、荒い運転だった。

ホテルは、「Marriott London Park Lane」に宿泊。
下ろしたてのユーロで運賃を払い、いま思えば何もわかっていなかったと恥ずかしくなるが、相場も硬貨の種類も“効果”も知らずに、幾分かのチップを渡した。すると、それまで仏頂面(運転中の顔は見えなかったので予想だが)で運転していた運ちゃんが、満面の笑顔でそれを受け取ったかと思うと、わざわざ運転席から後部座席にまわってドアを開け、骨折中の弟を気遣い、重い重いスーツケースをホテルに運び込み、「Thank you very much, sir!」と紳士然と手を振って帰っていった。

空模様を見ればわかる。イギリスという国は、こちら側から仕掛けなければ何も跳ね返ってこないような気がした。プロフェッショナルでナイスガイなホテルマンの対応に、逆に小さくなりながらチェックインを済ませ、いざ部屋へ。ドッと疲れがでたが、いざ街へ。イギリス滞在4日間の拠点となる“Park Lane”へ。
時刻はもう19時だ。
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by marc_keio | 2009-02-22 05:09
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成田空港を出発して8時間、ついにLondonのHeathrow空港に到着。
気分上々。テンションが上がる。

機内で見た名作『男はつらいよ』から一転、松葉杖の弟のためにANAが用意してくれた車イスを押してくださるのは、金髪の“THEイギリス人”って感じのロンドンっ子である。飛び交う言葉も寅さんがまくしたてる東京は柴又の日本語から、誇り高きブリティッシュ・イングリッシュに。
車イスの準備が整うまで、アラブ系整備士の兄ちゃんと記念すべき初英会話を敢行。

「へい!ユーの弟はフットボールで怪我しちまったのかい?!俺も若いころはセミプロでやってたんだぜ。現役時代の最後はメジャーリーグでプレーして、ベッケンバウアーとも対戦したことがあるんだ。早く怪我治すんだぜ。ほら、車イスのご到着だ」

リスニングが確かであれば、こんなことを言っていた(はず)。こちらも「My name is Marc.」と自己紹介。「ワオ!」「レアリー!」と連呼して会話が盛り上がる。善戦である。
初走行は上々?戦えるかもしれない。
しかし、車イスを押してくれる金髪の兄ちゃんとも積極果敢に英会話を試みるが、3日前に降ったロンドンの大雪についての会話は5分と持たず、沈黙のままヒースロー空港内を移動することになる。

ヒースロー空港から「Heathrow Express」に乗ってPaddington駅へ。切符を買うのも一苦労である。ロンドンっ子に手伝ってもらいながら、どうにかこうにかカードで現金を下ろし、一路、パディントンへ。

c0119546_1039415.jpg16時半、無事にパディントン駅に到着。タクシースタンドを聞くが聞き取りに失敗、自力で探す。
ここで、徐々に自覚する。言葉は通じるのだ。
言葉は通じる。気持も通じる。だが、俺の耳に英語が通じない。

冷え込むパディントン駅。
まだ16時というのに、ロンドンの町は暗い。
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by marc_keio | 2009-02-21 16:57
c0119546_936974.jpg今や“バックパッカーのバイブル”と呼ばれる沢木耕太郎の『深夜特急』。その舞台裏を描いたエッセイ集。
お恥ずかしいことに、僕はいまだに『深夜特急』を読んだことがなく、旅の間中、日本に帰ったら読もう読もうと思いながら、その舞台裏ばかり読んでいた。

 夢見た旅と余儀ない旅。
 これは旅の待っている二つの性格を
 鮮やかに表象する言葉であるように思われるのだ。


26歳のとき、1年間ひたすら旅をした沢木耕太郎。社会に出れば、そのような旅をするには、何かを捨てないとできないことになる。

 なにかを得るためには、何かを捨てないといけない。
 俺が捨てたものってのは、お金であり、地位であり、キャリアであり・・・


そう語って、中田英寿は世界中を旅してまわっている。
もはや自由な時間を得るためには、お金もしくは才能がないと手にすることはできず、あるいは、何かを捨てる以外にない。
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by marc_keio | 2009-02-21 13:34 | book
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飛行機に乗ると、
いつも頼んでいたコーラやジンジャーエールが
梅酒(ロック)やウイスキーに変わっていた。

飛行機に乗ると、いつも思い出す詩がある。
谷川俊太郎の『朝のリレー』だ。


 カムチャツカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている

 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝がえりをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭を染める朝陽にウインクする

 この地球では
 いつもどこかで朝がはじまっている

 ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交替で地球を守る

 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ



ヨーロッパまで、8時間。
ジャックダニエルと旅情に酩酊して、ANAの毛布にくるまる。
この旅の終わりは、カルチョの国、イタリア伝統の一戦、ミラノ・ダービーである。
そうだ、この毛布を冷え込むサン・シーロまで持っていこう。

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by marc_keio | 2009-02-19 22:03
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12日間の欧州旅行から帰国した。
11日間の予定だったが、そこはイタリアーノ気質にすっかり惚れこんでしまった山浦兄弟。
MilanoのMalpensa国際空港で「マルペンサの悲劇」が起こり、帰国が1日遅れてしまった。

多くのものを見た。
サッカーの試合も観ることができた。
有名な観光地から現地人の集まるレストラン、遺跡や美術館にも行った。
ロンドン、パリ、ローマ、ミラノという4都市と、移動で立ち寄った、
フランクフルト、フィレンツェ、ボローニャ、ピサといった街でも
多くの景色を目にした。

今や“バックパッカーのバイブル”と呼ばれる『深夜特急』。その著者である沢木耕太郎が、『旅する力-深夜特急ノート-』というエッセイ集の中で、このように書いている。

「移動」そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。大事なのは「移動」によって巻き起こる「風」なのだ。いや、もっと正確に言えば、その「風」を受けて、自分の頬が感じる冷たさや暖かさを描くことなのだ。「移動」というアクションによって切り開かれた風景、あるいは状況に、旅人がどうリアクションするか。それが紀行文の質を決定するのではないか。

多くのものを見た。
しかし、何を感じたのかは、曖昧模糊としている。
この旅で自分が起こした「風」を書くことで、いまだ整理できないでいる「感じたこと」を掘り起こしていくことができればと思っています。

日本に1週間滞在し、また旅に出る。
今度はカルフォルニアである。

日本に滞在する1週間は、毎日“TOKYO”の観光に向かいたいと思います。
「アクション」と「リアクション」を大切に、東京散歩。
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by marc_keio | 2009-02-19 06:30
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もう朝の4時。眠い。
明日から(もう今日だけど)、弟と2人で欧州4都市をめぐる旅にでます。

London, Paris, Rome, Milano.

効率の悪いパッキングに「時差ボケ解消」という言い訳をつけて、こんな時間まで起きてます。もう寝なきゃ。

今回の旅のテーマは、「自分さがしの旅」
めちゃくちゃベタです。でも、生半可な「自分さがし」ではなく、「自分とは何者なのか」ということを異国の地が浮き彫りにしてくれるのではないか、そう願って、ひたすらに自己を見つめる作業に没頭しようと思う。だから、過去のスケジュール帳なんてひっぱり出してきては、キャリーバッグに詰め込んだ。パンティはD&Gあたりでセクシーなものを現地調達するっていうのに。。。

そして、2つ目のテーマが、「融和」
世界は融和していくべきである。
すべてを超えてお互いがリスペクトし合って、協調の道を進むしかない。
これからの世界のテーマは「融和」である、と思う。
だから、今回の旅を通して、一番身近にいる弟を通して、様々な人種に接して、「融和」なんてテーマを意識しようと思っています。

"ONENESS"

でわ、行ってきます。
Bon Voyage, Marc & Kimi!!
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by marc_keio | 2009-02-06 04:47
「優秀なバッターでも3割打てば賞賛される。ということは、あとの7割は憂鬱に染まった時間である。憂鬱が深ければ深いほど、その味わいは贅沢で、彼の風貌に華と風格を与える。七割の憂鬱に洗いこまれたあげく身に付いた華と風格は・・・」

c0119546_2140210.jpg細かい文章は記憶していないが、ヤンキースの松井秀喜の復活を待望する慶大卒の小説家(名前はおぼえてないが、プロフィールを見たら慶大卒だった)が書いた記事を読んでいて、なんか良い表現だと感じ入った。


七割の憂鬱。


不況の中で、社会人として生きようとする者は、誰しも三割という結果を目指しながら、「七割の憂鬱」に立ち向かわざるを得ない。俺も好きなことには時を忘れて没頭するが、「負け戦はしたくない」というか、自分の興味のないものに対しては真っ向から否定してしまいがち。

もっと深い意味や滋味に富んだ表現だと思って惹きつけられたんだけど、この程度の言葉しかでてこない。でも、いろんなことを感じた表現だった。そして、最後に、筆者曰く、

「『七割の憂鬱』に立ち向かうとき、そこにあらわれる、みずからの正味の寸法と、いさぎよく対峙しなければならぬ宿命の中に、私たちは囲い込まれている」

“七割の憂鬱”という課題は、憂鬱として受け止め、幸福の種に転化して、三割以上の結果を目指して努力しつづけていくことが、自分を磨き、人生を豊かにする。なんて思ったり。
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by marc_keio | 2009-02-01 21:38 | my life