2010年 06月 10日 ( 1 )

c0119546_20473236.jpg司馬遼太郎賞を受賞した宮本輝の『骸骨ビルの庭(上・下)』を読了した。素晴らしかった。本物の日本語で書かれた本物の小説であると思う。このような小説の滋味をしっかりと受け止め、味わい尽くせる心を持った大人になりたい。

「上質な小説」の定義は幾つかあると思うが、「上質な日本語」で書かれたものであることがそのひとつであると思う。上質な日本語というのは、誰にでも分かり易い簡単な言葉で書いてあることである。「雨が降ったら、『雨が降った』とお書きなさい」という言葉があるが、なかなか人はそのように生きれない。

あの日、淀川の堤に立ち、間近の国鉄の鉄橋を貨物列車が渡っていく轟音を聞きながら、ぼくは自分の初めての烈しい恋の相手の幸福以外何ひとつ念頭になかったことを思いだしていた。
二十歳そこそこの若者の一方的な片思いによる突飛な行動でさえも、苦は楽に変じたのだ。そこには、自分のことを考えての何等かの取引きなど皆無だったのだ。自分のことを考えての苦労やから、苦労と感じるんやないのか、という泰造の言葉は、身を切るほど冷たい川風よりも厳しくぼくを打ちつづけた。

(『骸骨ビルの庭』)

「胸に千巻の書あれば、語を下す自ずから来歴あり」という言葉がある。今まで多くの本を読んできた人が文章を書けば、自然とその人が今まで読んできた本が書く文章に滲み出たり、言葉に表れてくるといった意味だろう。「千巻の書」とは「経験」とも置き換えられる。その人が経てきた幾多の経験は、言葉遣いや生き方に自然と表れて、滲み出てくる。
人間として、本物に触れ続ける、上質な文化や芸術に魂が触れつづけることが大切だ。優れた本物は、本気で人間のことを考えている。この贋(にせ)モノだらけの現代だからこそ。

それまでも幾度か、決意を不動にしたかに思える瞬間はあった。それらはそのたびごとに嘘ではなかった。だが、人間は変われない生き物なのだ。自分の人生を決める覚悟は、一度や二度の決意では定まり切れるものではない。何度も何度も、これでもかこれでもかと教えられ、叱咤され、励まされ、荒々しい力で原点にひきずり戻され、そのたびに決意を新たにしつづけて、やっと人間は自分の根底を変えていくことができるのだと思う。
(『骸骨ビルの庭』)
[PR]
by marc_keio | 2010-06-10 00:07 | book