川崎フロンターレvsセパハン

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失うものはあったのだろうか。
初のACL決勝トーナメント進出、アウェイでのスコアレスドローで現実味を帯びたベスト4。
ターンオーバーでJリーグの柏戦をサブ組主体で消化し、川崎フロンターレはセパハンとの“2nd leg”にすべての照準を合わせた。

等々力にセパハンを迎えた第2戦は、第1戦と同じくスコアレスのまま終了し、延長を経てPK戦へともつれこんだ。セパハン選手はピッチに倒れこめば起き上がろうとはせず、PK戦に勝負をもつれこませようとしていたし、フロンターレはその戦法に甘んじて引きずり込まれた観があった。

そして、PKでは4人目のキッカーの谷口が外し、フロンターレの挑戦が終わった。“挑戦”という言葉を使うには、なんともやるせない幕切れだった。勝負が決した瞬間、はるばるイランから日本に駆けつけたセパハンの熱狂的サポーターと選手達は喜びを爆発させた。


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大切に戦いすぎた。
それが試合後に率直に感じた感想だった。
引いた相手に対して、3バックの選手がリスクを冒して数的優位をつくろうと試みたプレーは、120分の中で一度もなかった。中村憲剛とジュニーニョの調子はイマイチで、疲労によるものなのか、並のプレーヤーのパフォーマンスにとどまった。ベンチの関塚さんも細かい指示で陣形を整備するものの、森の負傷交代までカードを切ることはなかった。

アウェイで、失うものはなかった。
いくつものアウェイの洗礼の中で一丸となり、挑戦者として失うものは何もない状態で試合にのぞんでいたし、そのスタンスこそが川崎フロンターレの強みであったはずだ。
だが、スコアレスドローを手土産に帰国し、いざホームにセパハンを迎えると、そのサッカーは明らかに一線を踏み越えないという意味での“守り”に入っていったと思う。中村憲剛を筆頭に各選手が試合前に口にした「攻撃サッカー」を標榜するコメントとは裏腹に、アウェイでできていたサッカーが、ホームで小奇麗に小さくまとまってしまった。
国際試合の微妙な“事情”があるのもわかる。ただ、川崎フロンターレにアウェイの姿勢がホームでも発揮できていれば、大差での勝利ものぞめたはずだ。


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PK戦で決着が着いたとき、“悔しい”というよりも、はたして俺たちはどこでボタンを掛け違えたのかと、川崎の選手達は後悔ともちょっとちがう“やるせなさ”に似た感情のやり場に困っているような風情で立ちすくんでいた。


失うものなど、なかったはずだ。
アウェイでの健闘は、自分たちに有利な状況を生んだ。その微妙なアドバンテージが、いつしか失ってはならない何かを自分たちは背負っているのではないだろうかという幻想を川崎の選手達に抱かせるにいたった。


失うものなど何もなかったのだ。
PK戦が終わった瞬間の選手達は、初めてそのことに気づいたように呆然としていた。だが、もう手遅れだった。挑戦は、終わっていた。


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PK戦が終わった瞬間、席を立つ観客たち。
コンビニの袋にゴミをまとめて、出口へと向かう会社帰りのサラリーマン。
川崎フロンターレが敗退した。そこに、一抹の失望を抱きつつも、そんな感想は空になったビールと一緒にスタジアムのゴミ箱に捨てて家路に着くのだろう。
選手達も、この経験を糧にして、また残りのJのスケジュールの中に身を投じていく。


この国のサッカーには、最初から負けて「失うもの」など何もないのだ。


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by marc_keio | 2007-09-28 03:13