アンビバレントなポリバレント性。

3年生の経済学部のみなさん、お元気ですか。
オレもいま東アジアについての著作を読んで8000字のレポートを書く課題をやっていますが「アンビバレント」という言葉が出てきた。面白い言葉だと思う。

というかこの本、感性を刺激してくるような言葉が散りばめられていて、思わず全部メモってる自分がいる(笑)
「アンビバレント」という言葉もそのひとつ。この言葉を頭と心でこねくり回してるうちに、あるひとつの発想が浮かんできた。


【アンビバレント ambivalent】
両義的・両価的。
相反する価値(感情)が共に存在し、葛藤する状態のこと。



,





「愛と憎しみって、並んじゃうんだよね・・・。」


なんかの映画で、そんなセリフがあった。
愛していたはずの人が、些細な出来事で急に憎たらしい存在(期間限定)になってしまう経験ってあるでしょ?本来であれば共存しないはずの要素が、ギリギリの状態で並存する状態。


「アンビバレント」とは、
そういう相反する価値(感情)が共に存在して葛藤する状態のこと。
言葉の使い方としては、
「土屋のギャグに対して、アンビバレントな感想を持つ」とか、
「チーム内には、竹田のクロスの精度に対してアンビバレントな見方がある」とか。。。

憎しみと愛おしさ、歓びと哀しみ、美しさと醜さ、
好きなのに突き放してみたり、民主主義なのに天皇制、試験なのに天皇杯、
トシさんとオグさん、ササさんとリサさん・・・w


ぜんぶアンビバレント。
まぁ、最後のほうは冗談として、物事はいつも表裏一体であり、
夜があれば朝がきて、地が終われば海がはじまり、2階に行けばリサさんがいる。
そして、生きていれば、いつか必ず死が訪れる。
みんなが怖いと思ってた李さんが、カワイイ三つ葉のクローバーのTシャツなんて着ちゃってるときなんて、まさにアンビバレントの標本だよね。

c0119546_23512628.jpg


サッカーでも同じことがいえる。
ロナウジーニョは、ボールを取られた瞬間、「ロナウジーニョ」ではなくなる。
ロナウジーニョを抑えるためにバルサの対戦相手の指揮官は頭を悩ませるが、
逆にロナウジーニョのマークについていた選手が飛び出せば、フリーになる。

このよーに、サッカーも、すべてが表裏一体。
天国と地獄がギリギリの状態で背中合わせに存在している世界だ。
そして、オシムは、日本人を評して、こう言ったという。





「二律背反(アンビバレント)に見えるものを、無理なく同居させる懐の深さを持つ民族。」





ひじょーーーーーーーに深い。
あと3回読んでみて。



「二律背反に見えるものを、無理なく同居させる懐の深さを持つ民族。」
「二律背反に見えるものを、無理なく同居させる懐の深さを持つ民族。」
「二律背反に見えるものを、無理なく同居させる懐の深さを持つ民族。」



意味わかったでしょうか。
そして、さらに、





「『アンビバレントなポリバレント性』こそ、日本人の特性である」




そう言って日本人の国民性に感じ入ったオシム監督。
つまり、そのオシムが日本人の「特性」をさらに特化して、



「日本サッカーを日本化させる」



と就任会見で宣言したということは、
まさにこの「アンビバレントなポリバレント性」を最大限に伸ばして
チームを作ると宣言したと言い換えても言い過ぎではない。


c0119546_23495898.jpg「アンビバレント」につづき、「ポリバレント」という言葉。
これは、化学用語では、

『原子が他のいろいろな原子と結合して別のさまざまな機能を持ちうること』

つまり、サッカーにおいては、多くのポジションをこなすことができ、他のさまざまな選手と連携しあうことに秀でた多様性を持つ選手を「ポリバレントな選手」という。


いまのA2でいうと・・・、その質は別として、波握なんてMr.ポリバレントだね。
それから完さんとか天野さん、かろうじて塩津くんや小坂井くんも。


相反する要素である攻撃と守備。
慶應でいえばストッパーがボールを取ったら前にボカンと蹴る。
1トップが競る。2列目が拾う。散らす。サイドが上げる。中でズドン。
そういう分業サッカー。

この役割の枠を壊して、すべての選手がアンビバレントにポリバレントなポジションをこなすことができれば、サッカーの幅は間違いなく広がる。たしかに分業の枠組があることはたしかだ。その垣根をどこまで低くすることが出来るかという議論、努力はすべきだと思う。

c0119546_235374.jpg


こんな話がある。

昨年の指導者講習会で、あるコーチが
「理想のGKとは」と、オシムに質問したという。
その答えが、「手も使えるカンナバロ」。


たとえば、、、

うちには小森敬士というGKがいる。
フィールダーから転進した足元の技術では慶應のGKの中で一番優れている選手。

リスク。
最終ラインでリスクを背負うのはタブーだが、“プチ”リスクなら背負ってもかまわないと思う。状況によって、もし、GKと2センターでボールを回すことができれば、相手は2トップがチェイスにきて、残りは8人。で、前は8対8の数的同数となる。

オシムが言った「手も使えるカンナバロ」とはそういうことだろう。
理想としては、ビルドアップにも参加できるGK。
それこそ究極の「ポリバレント」であるといえる。



「二律背反(アンビバレント)に見えるものを、無理なく同居させる懐の深さを持つ民族。」



サッカーにおける相反する「二律」とは、攻撃と守備。野球は攻撃と守備で表裏が変わるが、サッカーはまさに表裏一体。攻守一体であるといえるのだ。その相反する要素を同居させながら柔軟に戦える集団。それこそがオシムが目指す日本サッカーなのかもしれない。


「相反するものを無理なく同居させる懐の深さ。」


人間としても、そうありたいと思わせられるフレーズ。二面性以上の、いろんな要素を高い次元で持っている人間というのは魅力的だと思う。だから、女の子のツンデレとか最高だよねw


オシムが目指す日本サッカーは、まさに「ツンデレサッカー」なのかもしれない。

いま、オレがみているA2の選手には、高い次元で多くのポジションをこなせる選手はいない。
監督にとっても、ポジションチェンジの利く選手は、采配のうえでも計算しやすい材料となるだろう。サイドハーフしかできません。1トップしかできません。ウイングは無理です。スイーパーはできるけどストッパーは無理です。

c0119546_011077.jpgそれじゃぁ、人生と一緒で最初から可能性を放棄している。
「アンビバレントなポリバレント性」。
それはサッカーに限らず、人生に通ずる真理であることは言うに及ばないだろう。

だから、アイリーグが終われば、オレはこの選手の多様性の開発に乗り出そうかとぼんやり考えている。

3トップが市川、久保田、天野・・・とかね。無理だねw
[PR]
by marc_keio | 2007-07-17 23:15 | my life