美の一面

「ボールを私物だと勘違いしている選手がいる」

オシム監督は、先日のキリンカップvsモンテネグロ戦を振り返り、「人とボールが動く日本らしいサッカーが構築されてきたのでは・・」という質問に対して、選手が無駄にボールを持ちすぎたことを指摘して一蹴。
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「ボールを持ちすぎる」ということ。シンプルにできることを難しくやろうとすると、それが成功すればスーパープレーと賞賛され、失敗すればオシムの言葉のように叩かれる。

要は、カカやクリスティアーノ・ロナウドのように決定的な仕事ができる選手は稀である。無駄に持たずに早く離せ。早く話すために判断のスピードを磨け。ということだろう。日本代表を世界基準で見たとき、“カカ”はいないのだから全員が早く離して早く動かして速く攻めろ、ということになるのかもしれない。それは勝つためであると同時に、極めていった先には魅力的な美しい勝利が待っている。

シンプルに。
サッカーが、どんどんシンプルになっていく。
難しいことをせずに、シンプルにやる。
だから、サッカーは芸術なんだと思う。

無駄なものがそぎ落とされた場所に、唯一アクセントが加わったとき、“美”が生まれる。

シンプルが美しいならば、シンプルにやるべきかもしれない。エレガントなサッカーとは、無駄なものをそぎ落としたエネルギーにあふれた美しさなのかもしない。
美しいサッカー。その要素や価値観の違いは多岐にわたるが、何かを徹底することも、美しさであるといえはしないか。

井上ひさしという作家が、文章の極意について問われたとき、以下のように答えたという。


     むずかしいことをやさしく
     やさしいことをふかく
     ふかいことをゆかい 
     ゆかいなことをまじめに
     書くこと



スターはひとりでいい。
そして、チームがスターにならなければならない。
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by marc_keio | 2007-06-02 21:11 | football